【戦国時代と団扇】素材や利用目的が現代とは違った!

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朝顔の団扇

団扇と言えば、暑い夏に風を送るためのアイテム。

そんなイメージが強いですよね。

今ではそれが当たり前となっていますが、昔から同じような感覚で団扇は使われていたのでしょうか?

今回ご紹介する昔の団扇は「戦国時代」の団扇です。

今と戦国時代では、団扇が果たしていた機能に違いがあるのでしょうか?

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戦国時代の団扇の素材は?

まずは戦国時代の団扇の素材について確認していきましょう。

作成技術は今の方が断然上のはずなので、かつてはどのような方法で作られていたのか気になるところです。

漆塗りの網代団扇や漆塗りの皮

網代団扇とは、読み方を「あじろうちわ」と読み、檜(ヒノキ)や竹などを加工して、網代形に編んだ団扇のことを言います。

漆塗りのイメージとしては器物が一般的にしてれていますよね。団扇に使われていたなんて、とても意外で、和の新しい形を知ったような感覚になりますね。

板や薄い鉄板

檜や竹はよくわかりますが、なんと「板や鉄板」まで団扇になっていたというから衝撃的です。

風を送るためと考えると、ちょっと選択しなさそうな素材たち。

当時の団扇には、いったいどんな役割があったのでしょうか?

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戦国時代の団扇の利用目的は?

戦国時代の団扇と言えば、やはり武将がもっているイメージが強いのではないでしょうか?

時代劇の戦のシーンなどで登場する軍配団扇がまさにそれに当たります。

現代でよく見るシーンとしては、相撲の行司がもっているあれです。

まさに現代の軍配団扇にふさわしい活躍ぶりですね。

現代では相撲を盛り上げている軍配団扇。

戦国時代には武将たちの指揮を高めていたに違いありません。

戦国武将からアイドルに受け継がれた団扇

戦国時代に名だたる武将たちの指揮を高めてきたであろう団扇。

その団扇は今、名だたるアイドルたちを盛り上げるアイテムとして引き継がれています。

しかし、一部では「団扇禁止」となるケースが出てきています。本の一部のファンのマナー違反によって、「団扇が大きすぎて後ろの人が見えない」というケースや、「装飾し過ぎて他のファンの邪魔になる」という現状があり、苦渋の団扇禁止が始まりつつあるようです。

この「団扇の危機」。

織田信長や豊臣秀吉はどのようにかいくぐろうとするのでしょうか?

「マナー違反、燃やしてしまえ、団扇ごと」

「マナー違反、萌えさせましょう、団扇ごと」

それぞれの武将がどんな策を練るのか…想像するとワクワクしませんか?

まとめ

戦国時代と現代では、団扇の利用目的や素材が大きく違うことに驚きましたね。

そんな中でも、「団扇によってテンションが上がる」という効果は、いつの時代も同じようです。

涼しい風を送る以外にも、団扇を利用して、日々の生活に「新しい風」を生んでみてはいかがでしょうか?

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