たなばたさま、という愛らしい童謡があります。
その歌を歌いながら、七夕飾りをつくった経験は誰にもあることでしょう。中国からやってきた七夕の行事は、すっかり日本の地に根付いて、夏の一大行事になっています。
でも、七夕に飾るものの意味や歴史については普段あまり語られることはありません。そこで、今回は七夕の笹飾りと短冊の歴史と由来について調べてみました。
【七夕】笹飾りの歴史と由来について
七夕飾りのメインは、笹竹と短冊です。それ以外にも飾り物があって、それぞれに意味があるという事を知っていますか?
【七夕】笹飾りの歴史と由来について
まず、七夕飾りはいつ頃から始まったのか知っておきたいと思います。
七夕が伝わってきた当初は、五色の糸をお星さまにお供えする習慣だったようです。その後、室町時代になると、願い事を書いて飾るようになり、書の上達を願って硯(すずり)や短冊に和歌を書いてお供えするようになりました。
一般的な広がりを見せたのは、節句の一つとして扱われるようになった江戸時代の事です。その後も七夕飾りは変化し続け、現在は色紙で7月の風物詩を折って飾るようになりました。
七夕飾りは、なぜ笹に飾るの?
はっきりした理由は分かりませんが、笹は冬場でも青々としているので、生命力が強く邪気を払う植物として大切にされてきました。また、あまり虫がつかないので、昔は、稲作の時に笹を使って虫よけをしていたことも関係しているのではないかと思われます。
天に向かってまっすぐ伸びる笹は、まるで願い事を天にまで届かせてくれるようですよね。
笹飾りの由来
笹飾りの由来については、飾り物一つ一つに込められた願いを知れば、それが見えてきます。
★竹を立てる
神様やご先祖様が地上に降りる目印であり、中が空洞になっているのでそこに力が宿るとのいわれがあります。
★紙衣(かみごろも)
裁縫の腕が上がることを願う意味があり、棚機女が下り、神様に捧げた衣で、七夕笹竹の一番上に飾ります。
★吹き流し
織姫の織の糸の象徴であり、昔の織糸を垂らした形を表し、機織りや技芸の上達を願ういわれがあります。
★巾着(きんちゃく)
昔はこれにお金を入れて腰に下げていました。しっかりと口紐を結ぶと言う意味から、節約・貯蓄・豊かになる意味があります。
★投網(とあみ)
海の幸の大漁祈願であり、幸運を寄せ集めると言う謂れがあります。
★千羽鶴
延命長寿を長い、昔は家の長老の数だけつるされていました。折り方を学ぶ過程で、教わる心、人に教える心を学ぶ意味があります。
★短冊(たんざく)
学問や習字、そのほか手習いの上達を願います。昔は、早朝にカラトリの葉にたまった夜露を集め、それですった墨汁で短冊に習った詩歌を書いて練習したと言う由来があります。
★屑籠(くずかご)
飾り物を作り終えた裁ち屑、紙くずを拾い集めて入れる屑籠です。ものを粗末にしない、清潔と倹約の心を養うという、いわれがあります。
仙台七夕では、これらをまとめて七つ道具と言っています。飾りを笹にぶら下げる事で願いをかけているのです。
ですから、七夕の願い事は、習字・裁縫・工芸等の芸事が上達しますようにという願いにご利益があるとされています。
七夕飾り「短冊」の由来と歴史
「♪五色の短冊わたしが書いた♪」と童謡にも歌われている短冊は、七夕飾りには欠かせないアイテムです。この短冊を飾るようになった歴史や由来についてみてゆきましょう。
七夕飾り「短冊」の由来と歴史
なぜ五色の短冊かというと、この行事が伝わったころは、短冊ではなく五色の糸を御供えしていました。この糸が後に布となり、江戸時代になって七夕が庶民の間に広がり始めると、高価な布はなかなか手に入らないので、紙の短冊に変わって行ったと考えられています。
その昔、七夕が宮中行事だったころ、カラドリの葉にたまった夜露で墨をすって、梶の葉に和歌を書いて笹竹につるすことで、書道の上達を願う風習がありました。それが、手習いが盛んだった江戸時代になって、手習いの上達を祈って、短冊に願い事を書くようになったのが由来だと言われています。
五色の短冊の「五色」は、中国の陰陽五行説から来ています。「赤」「青」「黄」「白」「黒」の色を指します。色の意味は、人間が守るべき5つの徳が関係していると言われています。色と五徳のそれぞれの意味は下記のとおりです。
- 青=仁 徳を積む、人間力を高める
- 赤=礼 父母や祖先への感謝の気持ち
- 黄=信 信頼、知人や友人を大切にする
- 白=義 義務や決まりを守る
- 黒=智 学業向上
これらの色は後になって、全てをまとめる色という事で、「最上色」といわれている、「紫」が「黒」に変わって利用されるようになりました。更に、「青」は「緑」でも代用することができます。
実際の七夕のはなし
知人が経験したという七夕のお話しがあります。
その方は、早朝に里芋の葉に溜まった露で墨をすって、それを使って短冊に願い事を書いたそうです。そして、きれいに飾り付けた笹竹を軒端に飾って、とれたての農産物を御供えしました。その後、笹竹を持って川に流しに行ったとのこと。
この「七夕送り」は、古来行われていたみそぎの風習の現代版だと言われています。ですから、七夕の行事は、それに続く「お盆の行事の前段階だ」との説もあります。
七夕送りは精霊流しと同じ考え方からうまれたもので、本来はお盆がすんだ15日に流すのですが、七夕が独立した行事になったので、7日に流すようになったと言う説が有力になっています。
まとめ
最近では、環境汚染や河川の改修工事が進んで、川端へ行けないことが増え、川へ物を流すことができなくなりましたね。
生活の利便性という面においては、とてもありがたいことですが、それにともなって古き良き日本の風習が失われつつあるのは寂しいことです。
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