母の日の印象は強いのに、どうしても陰に隠れてしまいがちな「父の日」
毎年6月の第3日曜日は「父の日」として認識されています。
ちなみに、2015年は6月21日ですよ☆
今や当たり前のようになってしまっている「父の日」ですが、一体どんな流れで生まれることになったのでしょうか?
こちらの記事では「父の日」の起源、そして「母の日」との関係について調べてみます。
父の日とは?その由来
父の日が生まれるきっかけになったのには、実は「母の日」がものすごく関係しています。
参考 ➡ 母の日の由来について
父の日誕生秘話
父の日が誕生したのは、アメリカワシントン州に住む1人の女性、「ソノラ・スマート・ドッド婦人」が、教会に頼み込んで6月に礼拝をしてもらったことがきっかけとされています。
そして、「母の日があるのに、父の日がないのはおかしい!父の日もつくってほしい!」と『牧師協会』へ嘆願したのだそうです。
ではなぜ、このソノラ婦人はそんなことをしたのでしょうか?
それには、ソノラ夫人が育ってきた、こんな家庭環境・過去の事情があったからです。
ドット夫人が小さい頃、お父さん(ウイリアム・ジャクソン・スマート氏)は北軍の軍人でした。軍隊での階級は”Sergeant”といいますから日本でいう「軍曹」でした。
1861年4月12日南北戦争がおこってしまいました。アメリカの悲劇の時代が始まったのです。南北戦争が終わったのは1865年4月9日でした。「ドット夫人」のお母さんは、夫のウイリアム氏が北軍に召されている間、女手一つで働きながら一家を支えてきました。その為、お母さんはすっかり体をこわしてしまい、お父さんの復員後、間もなく死んでしまいました。
そこからお父さんの苦闘が始まったのです。残された子供達は、男の子5人と女の子が1人でした。6人の子供達を男手一つで育てるのですから、さぞ大変だったことでしょう。お父さんは再婚もせず、生涯独身で働き通したそうです。
今日のような豊かなアメリカではなく、悲劇の時代と言われていた頃のアメリカでしたから、その苦労は大変だったでしょう。
6人兄弟の末っ子の女の子が「父の日」を申請した「ドット夫人」なのです。「父の日」をつくって下さい。と末娘が嘆願してから7年後、1916年に『父の日』が認知されるようになりました。アメリカ合衆国第28代大統領ウイルソン氏の時でした。
そして、1926年、ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティがニューヨークで組織され、1972年(昭和47年)になって、アメリカでは国民の祝日となりました。『父親を尊敬し、称え祝う日』それが『父の日』なのです。
(出典:父の日の由来)
「父の日」誕生の背景には、「母の日」の誕生と同様に、1861~65年にアメリカで行われた【南北戦争】があったのですね。
こうした記念日を誕生させてしまうほどに、「自分を愛してくれた親に対して、子どもが胸に抱く思い」というのは、ものすごく強いんだなぁ・・と感じられますね。
現代の日本にも、このくらい「相手を強く思う」心が育まれるといいですね。
父の日に贈る花
母の日と言えば「赤いカーネーション」を贈るイメージがありますよね。
では、父の日は一体どんな花を贈ったらよいのでしょうか?
父の日には、白いバラを
「父の日に白いバラを贈るようになった」そのきっかけは、上記のドット夫人が、父の墓前に白いバラを供えたことから。
「贈る」と言っていますが、
もともと母の日のカーネーションも、父の日の白いバラも、アメリカでは教会での式典で、「胸につけるものだった」という説もあります。
ですが、日本ではもともと「花を胸につける」という習慣がなかったので、当然のように「贈る。プレゼントする」という流れになったのでしょうね。
日本での父の日
日本に「父の日」が伝わってきたのは、1950(昭和25)年頃らしいのですが、伝わってきた当時はそれほど広がらなかったようです。
それから約30年ほど経ったのち、1980年代に、デパートや花屋などの販売戦略により、現在のように「一つのイベント」として、父の日が広がっていくことになりました。
ジューンブライドの紹介をしたときにも書きましたが ➡ ジューンブライドについて
やはり、「商売としての販売戦略」として社会を巻き込む力がつくと、一気に人々に広がっていきますね。
一つのイベントとして、もちろん楽しむことも大切ですが、「なぜそのイベントが生まれたのか」というその根っこを知り学ぶと、より一層知識が深まり、大切にすることが出来そうですね。
ファザーズ・デイ委員会?
なお、1981年には、【FDC:日本ファザーズ・デイ委員会】というものも設立されました。(➡【FDC:日本ファザーズ・デイ委員会】公式ページ)
こちらでは、「父の日には、黄色いリボンを送ろう」という活動をしています。
古来、イギリスでは、「黄色」は身を守る色といわれており、これがアメリカに伝わったとき「愛する人の無事を願う黄色いリボン」として定着したそうです。
まとめ
「父の日の由来」について書いてきましたが、いかがでしたでしょうか?
やはり、どんなイベントにも、元々の誕生秘話があり、それを大きく広げるための商売的な戦略があることがわかりましたね。
戦略であることを知りつつも、敢えてのっかって楽しむ、というのも一つ人生を充実させるコツかも知れませんね。
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