ヘルマンヘッセの『車輪の下』は有名すぎるほど有名な作品ですね。ですが、タイトルは聞いたことがあっても、その内容まではご存知ないという方も結構多いのではないでしょうか。
障害者の自立支援が叫ばれている昨今、彼らに何か作業を与えると回復する可能性があることを、ヘッセはこの小説の中で取り上げています。
この作品が発表されたのは1905年のことなので、今から100年以上前のこと。ですが、当時すでにヘッセは「ものを作り出すという行為は、人間に活気を取り戻させる最善の方法だ」と書いているんですね。
やはり、時代を越えても変わらない根っこの部分は、どれほどの時を経ても変わりません。今一度この本に触れて、障害者と健常者の接点を見直してみたいと思います。
ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』あらすじ
ヘッセが29歳の時に発表した『車輪の下』のあらすじは以下の通りです。
秀才ハンスの登場と、症状の発症
ドイツ南西部のシュバルツバルトに、町始まって以来の秀才と言われるハンスが暮らしていました。彼は、超難関の神学校に猛勉強の末、2位の成績で合格します。栄冠を手に入れたハンスは希望に燃えて入学するのでした。
しかし、ハンスの身体に、頭痛や集中力の欠如、倦怠感などの症状が現れ始めます。もちろん成績も低下し、更に、空笑・幻覚などの症状も現れて閉じこもりがちな生活を送るようになりました。
成績が下がったハンスを教師は怒り、軽蔑し最後には見放してしまいます。そんなハンスを、思いやりのある、いたわりで接しようとする教師や、彼の病を理解して処遇しようとする教師は皆無でした。これはハンスにとって不運なことでした。
故郷へ戻るハンス
仕方なく彼は学校を去ります。
故郷に戻ったハンスを迎える人々の態度は冷たく、かつてハンスの能力に期待して学問を教えてくれた教師や牧師も、ハンスをかえりみようとしません。手助けが必要なハンスに、誰ひとり手を差し伸べる者はいなかったのです。驚くべきことに、町の人は、脱落者を助ける時間や心遣いに費やすことが無意味だと思っていたのです。
ハンスの父親もまた、「神経病」などという厄介なものを背負って帰ってきた息子を不安と恐怖の眼差しで見ます。当時、精神病患者には強い差別や偏見がありました。そのような雰囲気の中で、ハンスは「見捨てられたきらわれ者」という気持ちで生きてゆきます。
機械工の見習の果てに・・
その後彼は、父親の勧めで機械工の見習いになります。その仕事でハンスは、自分の手で物を作る喜びを知ります。
最初の内は、鍛冶屋の服を着て、牧師や教師の家の傍を通るのは恥ずかしかったのですが、ハンスは見習工として働く中で、生まれて初めて、労働の素晴らしさを認識します。そして労働した後の日曜日のありがたさを知るのです。
しかし、ハンスは見習工を辞めてしまいます。そして自堕落な生活の果て、酒に酔って、川に落ちて溺れ死にます。そんなハンスの一生を、ヘッセは、精神障害者に優しくない、無理解な社会に対する深い絶望と怒りを込めて書いたのだと思われます。
ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』感想文
上記のあらすじを通して感じたことをまとめます。この小説には大きく二つの重要なテーマがあると感じました。
教育のあり方について
まず一つは「教育者がその学校の色に染まらない学生を排除しようとする、その姿への憤り」。そしてもう一つが「精神障害者に対する無理解への怒り」です。
これを学校教育への批判とみるなら、それは、学校生活になじめず、教師から不適応の烙印を押され退学をさせられた、ヘッセ自身の体験が書かせたものだと言えます。
天才的な人物が入学してくると、不適応とする教師連に対する批判は「天才と教師連の間には、昔から動かしがたい深い溝がある。」「学校の教師は自分のクラスに一人の天才を持つより、十人の折り紙つきのとんまをもちたがるものだ」などと書かれています。
天才は、現実世界では不適応である、というのがヘッセの持論だったようです。彼が言わんとしていることはよく理解できますね。
天才は排除されるのか
昔聞いた話です。ある山里に「神童」と呼ばれる子供がいて、彼はどんなことでも一度聞けばすぐ覚え、機械にも詳しく、大人が手を焼いていた「壊れた足踏みミシン」を直して大いに喜ばれました。
あるとき学校で、教師の板書を見て、「先生、違ってるよ。」と大きな声で言いました。それを聞いた教師はすっかり気を悪くして、それ以降、彼を無視したということです。
このように、天才肌の子供がいると、学級運営はとかく面倒になることがありますね。だからと言って、そういう者を除外して、自分のやりやすいように取り仕切ることが、教師の使命だとは思えません。
みんな同じ高さにそろえなければ、教師としてやって行けないようでは、教師の質が劣ると言っても過言ではないでしょう。少し出っ張った子供をも指導し、上手にクラスをまとめるのが教師の手腕だと思います。
もしも、体調を崩したハンスに温かな言葉をかけ、支援する教師が一人でもいたなら、それ以後の彼の人生は変わっていたかもしれませんね。
教師は、これから伸びてゆく者たちを、型にはめてはいけませんね。彼らの自己と人格を尊重し、共に学んでゆく姿勢こそが、教師に求められるもっとも重要な要素だと思います。
精神疾患について考えてみる
ハンスの症状を見ると、統合失調症を思わせます。ですから、学校で学んでいた少年が、統合失調症を発症して故郷に帰ると言う風に読むことができます。この病になった人の再生物語だとも言えます。
学校を追われた少年は、見習い工になります。これは今考えると、精神に疾患を抱えている患者さんのリハビリとして行われている作業療法です。ハンスは正にそれを行うことによって、働くことの素晴らしさと、物を作る喜びを知ったのです。これらのことは、精神面にも良い影響を与えます。
ハンスはかつて、肉や・パンや・鍛冶屋などの仕事をしている人間を軽蔑していました。平凡な奴らだ、と思っていたのです。しかし、自分も見習い工として働くうちに、「職人仕事の美しさと誇り」を理解したのです。これは、彼にとって大きな収穫です。やがてハンスは、人生の価値を知るようになります。障害があっても自由に生きていけるとの確信を持ちます。
現在も、統合失調症に悩む方は多いです。でも悲観することはありません。1906年に書かれた小説にも、精神に異常を来した人でも、生きていける可能性が書かれていました。今も、全世界でこの病と闘いながら働いている人が大勢います。
中には、素晴らしい研究成果を上げて、ノーベル賞を取った人もいます。世間の差別や偏見は減少しましたが皆無ではありません。それでも、彼らは一歩一歩確実に社会へ順応しています。子育てをしている女性もいます。彼らは健常者よりも前向きです。
ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』まとめ
ヘッセ自身が体験したことも多く影響しているこの作品。さまざまな思いを込めて書いたことでしょう。
自分が弱ってしまったとき、ほんの少しの優しい言葉や、いたわりの気持ちがあるだけでも心が救われることってありますよね。
障害を患ってしまった人に対し、ヘッセがあたたかな眼差しを注いだように、私たちも、どんな時も心に余裕をもち、誰にでも優しい気持ちで接したいものです。
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